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名の通り、なんらかの企画的読み物です。真面目な討論も中にはありますので、よければ意見などをいただけると幸いです。
シナリオの書き方第5弾「総合」
こんばんは、最近京極夏彦氏の小説に多少なりとも考え方を変えられつつある運命です。
そんな入りはどうでもいい?はい、すみませんでした!
とりあえず、シナリオの書き方も今回で最終回、ラストは総合的に見た文章というものです。
文章というのは不思議なものですね。言葉では口に出せないようなことですら、文章にしたためて送るという。
面倒なことでも、そっちのほうがいい場合もある。
とはいえ、総合的に何かを語ると言ってももう何も語ることなんてないような気もします。
そもそも、文章の書き方なんていうのは、個々で違うものです。
ただ、自分の書き方が多少なりとも誰かの書き方に影響を与えられればと思いしたためただけですしね。
だから、総合といえば何か書き忘れたことがあったらそこに補足するくらいです。
とりあえず、今書き忘れたかなって思うことはあんまりないんですが。
なんでしょうかね、かろうじて言うのであればやっぱり、書き方なんでしょうね。
描写をどういう形で書くのか、これもやはり個々の人で違うと思うんですけど、まったくの第三者からの視点で描くタイプと、ある特定の人物の一人称で描くタイプ。
そして、実は今まで見たことのなかったそれらを合わせたタイプ。
今はその両方を合わせたものを目指してがんばっていたりします。
第三者の視点で描くタイプの文章は状況の描写に長ける、と思います。
特定の人物の一人称で描く文章は、どうしてもその人物の視点……さらには思考の書き出しにしかなりません。
心情を描写するということに関しては、当然後者が上です。
しかし、その書き方では第三者としての見方、見解としての状況を見る人間にとっては描写が足りない、と感じるでしょう。
さらに、後者の書き方にはもう1つだけ、決定的な弱点とも言えることがあります。
それは、多少なりとも文章が単調になりがちだということです。
文章の書き方にレパートリーがなければ使いこなすことが出来ないと言ったほうがいいのでしょうか。
実は、誰かの第一人称で物事を描く、というのは考えているよりもずっとずっと難しいことです。
まずは言葉の使い方にも注意しなければなりません。
例えば、女性側、というわけではないですけども、上目遣いをする、という言い方はおかしいんです。
上目遣いで見られた、もしくは○○の顔を見上げる、こういう用法が正しいわけで。
上目遣いをする、というのは、第三者の見解でしかない。
当事者たちの間では、上目で見ることを上目遣いなどと言うでしょうか?
見上げる、が正しいでしょう。
結局、見る見られるの世界なわけです。
そういった細かいことがとても大切で、それらのことをしっかりと踏まえていかないと文章に矛盾が出てくるのです。
っと、最後は総合的な書き方、文章を書く上で踏まえる点、矛盾をなくすことになってしまったかもしれません。
これらのことが、これから先文章を書きたいと思う人たちの参考になれば、とてもうれしいことだと思います。
それでは、長々とご清聴いただき感謝致します。
注:別に聴いていたわけではないので最後の文は間違いだったりします。
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